日本語のエピソード: Women and politics in Japan: Thought Partnering with Akiko Domoto

Jackie Steele Diversity rocks innovation! Livestream & Podcast

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English text follows Japanese. A full transcript follows.

堂本暁子さんは、子供の頃に第二次世界大戦を経験され、日本の「ベビーホテル」での怠慢な育児についての事例を取材・報道したことで著名なジャーナリストとなり、国会議員に選出され、その後8年間千葉知事を務められました。 この生ける伝説である堂本さんへのインタビューを通じて、過去の時代の日本の政治と、その時代が私たちが今日、経験している日本と、いかに違うのかついての洞察を共有できることは、私の大きな喜びです。

このエピソードの聞きどころ

  • 暁子さんが、第二次世界大戦中に子供時代をどのように過ごしたか、また、自然に囲まれて育ったことが、どのように生物多様性に関する国際的な活動につながったかについて
  • 暁子さんが、ジャーナリストとして女性の権利に注目を向けるために行ったこと、認可されていな保育施設での、働く母親の赤ちゃんの死亡事故の現実、そしてそのことが今日私たちが当たり前と思っている公的なデイケア施設にどのようにつながったかについて
  • 堂本先生が千葉県知事として、市民の声と「ボトムアップ」のリーダーシップスタイルを重視するようにしたことについて
  • DRRの日本女性ネットワークの会長としての堂本先生の市民社会のリーダーシップと、市民が政治にもっと関心を持ってほしいという願いについて

暁子さんについて

堂本暁子さんは、東京女子大学を卒業後、TBSでレポーター兼ディレクターを務めました。 1981年から、男女共同参画社会基本法と、配偶者からの暴力の防止、被害者の保護に関する法律の制定に従事。 2001年から8年間千葉県知事を務めました。 千葉県知事になった最初の女性であり、日本史上3番目でした。 現在は、日本女性災害リスク軽減ネットワーク(JWNDRR)の会長を務めています。

Akiko Domoto experienced World War II as a child, became a renowned journalist uncovering stories of child neglect in Japan’s “Baby Hotels”, was elected as a member of parliament, and later served as Governor of Chiba for eight years. It is my great pleasure to bring this interview with a living legend  and to share Domoto-sensei’s insights into a bygone era of Japanese politics and how that era differentiates from the Japan we experience today. 

In this episode you’ll hear:

  • How Akiko spent her childhood during World War Two and how growing up surrounded by nature led to her international advocacy on behalf of biodiversity
  • What Akiko did as a journalist to bring attention to women’s rights, the reality of working mothers’ babies dying at unlicensed child care institutions, and how this led to the public daycare system we often take for granted today 
  • Why Domoto-sensei decided to emphasize citizen’s voices and a “Bottom Up” leadership style in her work as Governor of Chiba
  • Domoto-sensei’s civil society leadership as President of the Japan Women’s Network for DRR, and her desire for citizens to take more active interest in politics

About Akiko Domoto:

Akiko Dōmoto is a graduate of Tokyo Woman’s Christian University.

After graduation, Akiko worked as a reporter and director at TBS. From 1981, she was engaged in enacting the Basic Act for Gender Equal Society and the Act on the Prevention of Spousal Violence and the Protection of Victims. She was Governor of Chiba Prefecture from 2001 for eight years. She was the first woman to be governor of Chiba and the third in Japanese history. She is currently President of the Japan Women’s Network for Disaster Risk Reduction (JWNDRR). 

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Transcript

Jackie: 多様性が革新を起こすへようこそいらっしゃいました。暁子さんよろしくお願いいたします

Akiko: 今日はお招きいただいてどうもありがとうございました。堂本暁子です。暁の子と書いて暁子って読みますけども、母に聞いたところ、暁に生まれたの、朝早く生まれたの、だから暁の子という名前をつけたのって聞いたんですけども、別に朝早く生まれたわけではない、生まれたのはお昼頃だそうです。ただ母は暁という字がとても好きだったので、それを使いたくて暁の子と書いて、あきこと読ませたということで、堂本暁子という名前になります。

Jackie: 本当に日本の名前付けの素晴らしいところと思います。

Akiko: 漢字はとっても意味を持つので、時としてはいろんな親の思いを名前に込めることもあるとは思います。

Jackie: 素敵です。

Akiko: 生まれたのはアメリカなんですけども、1つになる前に日本へ帰ってきたので、それから長くアメリカに行ったわけではありません。ただ、よく人はバタ臭い、国際性があるとか、そういう言い方で、私も言うんだけど、それからずっと戦前から戦中、戦後と、日本で育ち暮らしてきました。今年、私の誕生日は7月の終わりの日なんですけども、今年の誕生日が来ると、数えで90、日本的な言い方をすれば卒寿と言いますね。私としては卒寿を祝っていただくというよりは、むしろ90年もいろんな人に、家族はもちろん、これまでずっと私の周りにいた多くの人に、この90年間お世話になって、そして育ち暮らしてきたことへの感謝の時かなって逆に思っています。とにかく若い時は90歳なんてもうはるか彼方のように、自分がその歳まで生きるとはということを想像することもなかったし、思ってなかったけど、なってみるとあらもうそんな年になっちゃったかしら、気分としては、まだせいぜい50代とか60代のまんまの気分が今でも繋がってるんですけど、それだけ長い時間を過ごしてきたということかと思います。その90年の間に戦争があり、そして戦争中があり、そして戦後の平和な時代が今も続いているわけですね。さっきアメリカで生まれたと申し上げたけど、それからじきに帰ってきて、それから日本では東京に住んでいましたけども、戦争の最中に家も学校も空襲で焼けちゃって、それで軽井沢に疎開したので、軽井沢に終戦になるまで行たわけですけど、そのことで一番私にとって今でも大事なことは、小学校もあんまりを勉強するというふうな状態じゃなくて、ほとんど遊んでいた。しかも信州の自然がたくさんある中で、春になったらあっちのカラ松松林へ行くと紫のスミレ、こっちの方へ行くと白い紫があって、こっちの方へ行くとまた薄いブルーの紫すみれが咲いて、あっちへ行くとサクラソウがあるとか、この小川へ行くと岩ガニがいて、石をひっくり返すとカニがいるとか、そんないろんな自然の中で過ごせた。戦争中というのはとても恵まれない状況なんだけど、その中で逆にそういう時だったからこそ、本当に自然と仲良く逆にできた、それを恵まれたといっていいかどうかわからないんですけど、少くともそういう環境に置かれた、だから今の子供たちが学校から帰ってくるとすぐ塾に行って、勉強勉強勉強、だからとっても気の毒だと思いますね。もう三十何階建てのビルで生まれ育って、土とか川とか風とか木の香りとか、そういう中でずーっと過ごす時間が子供の時に少ないのは、なんかちょっと可哀想な気がする。やっぱり子供の時からもっと土そして草とか虫とか動物たちとか鳥とか、そういう自然の中で過ごすことは、大事なんじゃないかなと思う。だから私は戦争中ではあったけれども、そういう自然の中で、幼い頃、小学校を終わるまでを過ごせたのはとても良かったと思っているんですね。話が飛びますけども、大人になってから生物多様性に自分のライフワークの一つになりましたけども、それももしかしたらそういった子供の頃の色々な豊かな自然の中で

、自然と仲良かったことが、多分、影響しているんじゃないかなと今でも思っています。だから、あんまり勉強するチャンスはなかった。でも、そういう今の子供みたいにね、勉強勉強で競争の激しい時代と違って、私たちの時代は、そういう生き方しか望んでもできなかった、そういうのはまたとてもある意味で豊かなことだったというふうに思うんですね。だからあんまり私は小学校中学校で勉強した記憶がない。

Jackie: これは本当にとても重要で興味深いところですね。私自身もバンクーバー生まれ育ちなので、大自然で恵まれたブリティッシュコロンビア州ってよく言われていますが、自分の育ってきた経験から、信州の長野にも私たちも自分たちの子供を2人子育て中で、コロナが始まってから、長野の信州の方に戻ったほうが、子どもにとっては住みやすい、家庭内で狭い所で勤務していると、隣に遊んであんまり音を出せないのは無理なところもありますし、子供にとっては信州長野のほうがいいだろうと、私たちも決定して戻ってきたんですけど、大自然で育ってきた、自然と仲良くする機会を経験することで、地球と人間の相互依存といいますか、関係性が非常に重要で、もちろん花が咲いていること、桜が咲いていること、きれいなところでも把握することも心も動かされるんですけれども、人間がこれからますます続けていくためには、それも価値観として受け取らないと、いろんな環境問題も生まれてきて、生物多様性の暁子さんが、とても国内外でも国際のレベルまでも運動して声を上げて保護する必要があるのにもかかわらず、それは国自体がそれを実際に守っているか、大企業も守っているのか守ってないか、ちょっと距離が入ってきているんじゃないですか今の時代、暮らし方でそれが距離が入ると価値観も変わってきて、それが無意識で重要じゃないとみんな思ってしまうことの方向性に、ちょっと危険だなと私も感じることになります。

Akiko: 今、地球っておっしゃったけども、人間が特別偉いわけじゃないんですね。地球の上に存在するあらゆる生き物、虫もいるし鳥もいるし動物もいるし、いろいろな生き物がお互いに連携して、チョウチョが来て花は受粉して咲くことができる。みんなお互いに支え合って、すべての生き物は循環して生きているわけですよね。そういったことが、まさに生物多様性そのものなんだけども、そういう形で幼いときに自然の中で育ったことというのは、とても大事だったと思うんです。確かに学校も家も空襲で焼けちゃったから、東京にはなかなか帰ってこられなかったから、そういう自然の中で遊んで過ごしちゃった。だから私は時々学校に行けない子どもたち、長期欠席っていう言い方をしているけど、そういう子どもたちとお話することがあるの、その時に、私は小学校の時も中学の時もあんまりお勉強できなかったわって、でも国会議員や県知事にはそういう方もなれるのよと。だから勉強なんかそんなに大事じゃない、もっと人生には大事なものがあるのよって話をします。私は本当にそういう意味で言うと育った時代というのが戦前戦中というふうに申し上げたけど、そして戦後の経済成長の中を生きてきた、そういう中で戦後についての感想を一言だけ短く申し上げると、日本は戦争に負けて経済復興を目指したんですね。あまりにも経済復興が早かったような気がする。だからあまりにも早い経済復興で経済に価値観を置いたために、日本の伝統文化とか歴史の中で私たちがずっと大事にしてきたものを、もしかしたら時々見失ってしまったり、失ってしまったりした可能性もあるんじゃないか、もっとゆっくりゆっくり経済発展した方が、よくイギリスの4倍の速さと言われるんですけど、所得倍増って言われて倍増して早くなる。今、日本はたぶん食べるのに困っている人はいないぐらい豊かになりましたけれども、でもその豊かさ、物質的な豊かさだけじゃなくて、もっと違う豊かさも必要だったんじゃないかなと思っています。

Jackie: 成長発展があまりにも早すぎたということでもありましたし、とても都会化してきたんですね。いつも私がびっくりするのは、カナダ全国だいたいの人口は東京にあります。1500万くらいですかね。カナダの場合はとても広い土地で、人口の集中した東京の地域で住んでいることは、大震災を考えてみると、本当に大震災が東京で起きると、とても信じられないことになるのではないか、大勢集中的に住んでいると、大震災が起きたらお水もすぐ足りなんじゃないかという心配もいつもあるので、東京に3年くらい住んだことがありますけど、いつも大震災が起きたらどうする、仙台を経験した後の自分の母のいつも心配しているってところで、本当に東京に住んだっていいのか、それが保護者の視点から見ると、自分の子供が大震災が来ることもあり得ると分かった上に、ここに住む選択してもいいのか、やっぱり田舎の方がお水も豊かで恵まれているし、山ももちろん緑も、そういうところにも大震災については強みがまだある場所、いつも自分も悩んでいろいろ自分の選択も、そこから変わってきた。最近の10年間とても思います。暁子さんは、ジャーナリストとしてのキャリアが一番長かったですね。30年ほど、その時にご自分の価値観でいろいろ興味を持って取材したい、選びたいストーリーがあったと思いますけれども、一番心に残る事例というかありましたらお願いします。

Akiko: ジャーナリストの本質だと思いますけども、やっぱり市民の視点、一般の庶民の目の高さでものを見ることに、私は徹してきたつもりなんですね。それが一番大事だと思っていました。その後、国会議員になったり、県の知事になったりしましたけれども、ジャーナリストとしての市民の視点に立つということだけは変わらなかった。だから市民の視点から、そしてジャーナリストの視点から、国会議員をやり、そして県知事をやってきたのが私なんですね。だから私のライフワークというのは、やっぱりジャーナリストであるわけなんですね。そういうジャーナリストとして何に一番興味を持っていたかっていうと、やはり子どもの問題、女性の問題、それからやっぱり自然の保護というか環境の問題、そういうところに照準を合わせて仕事をしてきたという気がします。だから1つは1年間にわたって女の人が働くようになって、保育園が夕方5時くらいに終わっちゃうんで、それからあと働いているお母さんたちはニックネームとしてベビーホテルっていうのを使いましたけど、要するに子どもをお預かり業、保育園はあったんですけど、保育園は夜はやってない、だから二重保育、三重保育という言い方をしたんですけど、保育園が終わってから、例えばデパートだって7時くらいまでやったでしょうか。そうすると5時にお迎えに行かれない、だからその代わりに今度次の子供を預かるところ、ニックネームとしてベビーホテルって言ったんですけど、子ども預かり業。ベビーホテルの人が迎えに行くこともあるんですね。京都なんかバスで迎えに行って、ずっと子どもたちを山の中のベビーホテルに預かっていた。夜働くお母さんは実際バスで迎えに来るので、どんなとこでやっているか知りもしなかった。それで、日本中あちこちで事故が起こって赤ちゃんが亡くなる。いろいろな理由があります。例えばちゃんとした保育士の資格のある保護者がいない。一番ひどかったのは京都なんですけども、トラックの運転手をしていたおじさんが、トラック運転するより、ベビーホテルやった方が楽で、ベビーホテルをやって、それで赤ちゃんに哺乳瓶でミルクを飲ませていたら、喉に詰まった赤ちゃんが亡くなったケースですね。それからキャバレーをやってた人が、ウイスキーよりもミルクの方が安上がりでいいと言うので、ベビーホテルやって、そこで事故が起きたりというようないろいろな事故が起きたのね、それでジャーナリストのときに、そういった子供を預かる以上とても危険でしょ、ちょうど日本で女性たちがすごく社会進出をして働くようになった時期なんですね、その時に制度としての保育園が、女性の労働時間とミスマッチ、ギャップがあり、そのためにそういうベビーホテルが流行ったわけです。ベビーホテル事故が起きると、もう北海道だろうが沖縄だろうがどこへでも飛んでいって1年間取材をして、そしてずっと放送し続けたんですね、毎週毎週放送した。それをしているうちにやっぱり認可保育園の保母さんたちが、えっおかしいということを言い出して、お母さんたちもおかしいということに気がついて、それで児童福祉法の改正というところまで1年でたどり着いたんだけど、それが私のジャーナリストとしての仕事としてはとても大きな仕事だったと思います。その仕事をしたがゆえに国会議員になるきっかけにもそれがあります。それと同時に、もう1つはさっき自然の話をしましたが、極地が好きで北極へ行ったり、ヒマラヤや極地の取材もしたんですね、そういった意味では映像を撮ることがとても好きで、しかもそれを編集することもとても面白くて、だから今でも映像の仕事としてはできないけれども、やっぱりムービーを撮ることはとっても好きで、編集がとても難しいんだけど、やっぱり映像で表現するってことはとっても好きなんですね。ドキュメンタリーも今でも作りたいと思いますけど、なかなかできない。だからやっぱりジャーナリストとしては、そういった市民の目線からの仕事で、しかも映像で表現できたというのが、私としてはとてもやりがいがありました。

Jackie: 以前、暁子さんが話してくださったんですけれども、何回も何回も議員になりませんかという声が上がってきて、何回も何回も断って

Akiko: 参議院の選挙が来るたびに、そのベビーホテルのキャンペーンをやって法律が変わったことで目立ってしまったのね。それで自民党からも、それから当時の社会党からも立候補してくださいって言われて、3年経つとまた参議院の選挙があって、また立候補してくださいと、結局9年間断って最後の時に、土井たか子さんが社会党の党首で、そのときもお断りしてたんだけど、あるとき中国へ取材に行って天安門事件が起こって、その取材で中国へ行って帰ってきたら、土井さんが、堂本さんまだ待っているのよって。

Jackie: その時代はちょうど女性議員が、日本でいえばブームになって、やっとちょっと女性候補者が出てきた時代にもなりましたが。

Akiko: 今でも少ないんです。10%くらい。

Jackie: マドンナブームと言われましたね。

Akiko: 何人か確かに女性増えましたけど、それでもとっても少なかった。土井たか子さんが社会党のリーダーになったから、そのおかげで女性が増えたということは言えると思います。私もその一人ではあったわけね。それでジャーナリストから議員へと変わって仕事するようになりました。

Jackie: ジャーナリストとして活躍していると、なるべく情報が回すように透明性のあるような社会法制改善にもつながって、情報に基づいてエビデンスで法制改善が、ベビーホテルの問題点の解決などでできているんですけれども、いよいよ自分は意思決定の場の方に議員として立っていると、自分の役割は基本的に変わりますね。その時に、ご自分にとって重要な、自分しかできない法制改善はありましたか、戦略的にこれを改善議会を通すように頑張りたいというように。

Akiko: ジャーナリストとして、ベビーホテルのことをやったでしょ、だから子供の問題、児童福祉法というのは、保育園とかのこと決めてる法律ですけど、まず児童福祉法の改正をすることができた。ジャーナリストとして世の中にアピールしたこと、それを今度は議員になったときに具体的に法律し変えることができた。だからそれは素晴らしく良かった。今度知事になることで、それを実施できた。自分がジャーナリストとして気がついたことを国会議員として法律にし、今度知事になることによってそれをインプリメントできたわけですよね。その3つの段階を経た人というのはあんまりいない。それはすごくラッキーだったと思いますね。

Akiko: ジャーナリストのときに保育の問題が一つあります、それから女性の問題で、国会議員になって男女共同参画社会基本法というのもやることができて、それからドメスティックバイオレンス、DV家庭内暴力の防止法、これも国会議員になってやることができたし、いろいろ女性に関係する、児童虐待の問題もそうですね、それを防止するための法律とか、そういうことがいくつもできた、それは素晴らしいことだったと、自然保護のことも、実際に生物多様性のことを国際的にバイオダイバーシティの条約を作ることができた。最初から計画してできることでもないし、計画してたわけでもない、人生を歩んできて後になってみると、あら、すごくラッキーだったんだなというので、最後にインプリメントできたところが一番。知事になったから実際に保育のことも、千葉県で実施できたし、生物多様性千葉戦略というのも作ることができたし、実際にそれを実践することもできたし、生物多様性研究所というのを作ったし、いろいろ知事になると日本全国じゃないけども、千葉県に限っていえばそこいろんなことを実施することができたわけです。

Jackie: 実現することも一番。政治学者の視点で見ると、議会を通って法制改善ができあがり、みんながワイワイで終わりというふうに思われるんですけど、そこからまた実際に実現する一番大きな宿題がそこから始まります。それが実現されてこない限りには、法制改善はせっかくできているのに、草の根までは実際にインパクトが届かないっていう難しい点、男女共同参画もそうだし、多様性の取り組みもそうだし、環境保護の問題点は、社会運動の圧力と動きのおかげで法制改善も実現できるんですけれど、やっぱり議会を通った後のその時から一番大きな宿題が始まる。一つお聞きしたいんですけど、政治学の世界でジェンダーと政治という分野がありますが、女性議員はある程度政党の問題は別して、わりと協力しあう事例がありますが、例えば堂本先生が議員になった時代に、ちがう政党であっても土井先生と、他の女性議員と、こういう課題を解決しましょうというお互いに連携とか協力しあいましょうという決定はありましたか。

Akiko: そのときはできたんです。私のときは自民党から当時の社会と公明党、共産党まで全部の女性議員が一緒になってやったのは、家庭内暴力の防止に関する制度を作ったことなんです。不思議なんだけど、政党間の協力が女性同士、横に串刺しをするっていう言い方するけどだけど、そういう風にして連携して今はできない。なぜできないのかわからないけど、当時はできた。だからすごくラッキーだったと思います。たぶんあれが最後のチャンス、あの時にやらなかったら全部の政党が一緒になって、全会一致で家庭内暴力を防止するための法律は国会を通ったわけですね。満場一致と言いますけど、それはやっぱり女性議員がお互いに連帯できたから、女性議員がみんな一緒になったから、男の人も全部一緒になって満場一致で国会を通すことができた。今はなぜかそれができなくなってしまった。男女共同参画基本法もみんな一緒にできたんですね。だから当時の方が女性が連帯できたという意味ではとても良かったと思うね。なぜ今できないのか、できないことをとても残念に思います。女性活躍法なんていう言い方をしていて、それがみんな必ずしもそれに一致しているわけではないということが、とても残念だと思います。

Jackie: 政権交代自体もあまり生まれてこない今の日本の選挙制度なので、それもたぶん連携というより競争観が強くて、まだ続くんだろうかと思います。ジャーナリストと、また国会議員また千葉県知事8年間のご経験で、草の根まで実現できている一番心に残る事例、成果をあげるとすれば何でしょうか?

Akiko: それはやっぱり1つは女性の問題がありますけど、それと生態系の問題、環境の問題だけど、ひとつずつというよりも、千葉の知事になったときに、とにかくみんなで集まって議論をして、そして議論したことを今度は具体的な政策にする、そういうことを千葉県中を回って菜の花県民会議を開いてやったんですけど、そういう意味で千葉県知事として私が一番今でも良かったと思うことは、そういうボトムアップ、それから国会議員としてやってきたちょうどその法律が通った、みんな持っていたわけね、女性の問題も生物多様性も、みんなちょうど通ったところだった、DV防止法も。だからトップダウンとボトムアップとが両方一致した。それで具体的に実現できたことがいくつもあったと思うんですね。だからやはり地域で政治を行う場合に、本当の意味のデモクラシーというのはなかなか日本で芽生えない。それはやはり具体的に県民会議のようなみんなで議論して、今度それをロビー活動として政策決定したとか上げていくロビー活動と、実際に作った法律がトップダウンとなって、具体的に動いていくそういったからくりがとっても下手だと思う。閣法っていうんですけど、内閣が法律を作っている、日本では。そうじゃなくて、カナダもそうだと思うけど、アメリカなんかも一番その典型だと思うけど、ロビー活動をしたことがそのまま法律になっていく、そういう意味では本当にボトムアップして、それが具体的に法律になってアクトンとなって、それで実施されるインプリメントまでずっといくでしょう、そこのところが日本はやっぱり法律を閣僚が作っているんですね。トップダウンなんですよね、だからやっぱりできるだけもっと私たちがやるべきことは、そういった政治に関しての議論を政府に任せるんじゃなくて、政治家だけに任せるんじゃなくて、市民の一人一人が自分のこととして、毎日の子どもの問題だろうが、食料の問題だろうが、それから水の問題だろうが、何の問題だろうが自分の問題として捉えて、そしてきちっとロビー活動をしていく、そういった姿勢がもっと日本の中で広がっていくことが大事だろうと、私は思ってるのね。

Jackie: トップダウンとボトムアップのことで不思議に思う矛盾は、結局トップの方、政府の方のプロセスとして、参画型民主的プロセスを予定しない限りは、県民会議、市民が参画できるようなプロセスを作って参画する機会と、皆さんが参画したがる意欲育てながら、そして参画する余裕も作ることも非常に大変で、不足していると感じてます。働いている保護者の皆さんは、子育てと仕事で精一杯で、子育てと仕事の両立もできない、難しいからこそ1人ぐらいしか産まない、2人目はちょっと難しい、余裕がない社会には民主的参画型の民主的社会の発展がありえないんじゃないかと思います。自分も日本に長年住んでいる中で、結局そういうプロセスはトップから政府が、まず企業が働いている長時間働かせるっていう文化から変えないと、皆さんが市民のアイデンティティとして、市民として貢献したい、それも重要だからこそ長時間労働じゃなくて、5時半に仕事終わりにして、家に帰って夜とか週末たっぷりそういう市民活動に巻き込む、貢献することも余裕が生まれてくるかなと思うんですけど、今はなかなか自分たちの家族もそうだし、周りを見ると市民としてのアイデンティティの余裕と時間がないままですから、市民活動として社会の変革、まずライフバランス、仕事は一部、でも市民としての存在と声を上げる役割も、政府と大企業に何らかの法制改善かもわからないんですけれども、それが文化として変わらない、ある意味昔話の日本のゆっくり生活する習慣といいますか、昔は、自然と歩みながらゆっくり余裕のある生活あったと思いますけど、そういう文化は、今は都会ではあまり感じていない。

Akiko: ジャッキーは、お上任せという日本語は分かる。お上というのは政府。政府上の人にお上任せ、そういう日本語があるんですけど、いささかやっぱり市民が自分で意見を言わないで任せてきた可能性があるように思います。自分で声をあげない。やはり日本がそういう意味で、まだ民主主義がちゃんと成熟していない国なんです。だから本当の民主主義っていうのは一人一人が自分の意見を言える、そしてその意見がある種のロビイングになって、そしてそれが政策として実現する、そういうプロセスが大事なんですけど、

Jackie:  時間の余裕だけじゃなくて

Akiko: 今、日本はアジアの国やアフリカの国に比べれば余裕はありますよ。これだけ経済的に豊かで、みんな土日遊びに行ったり、ずいぶんいろいろな文化的な余裕もあるし、いろいろな余裕あると思うのね、教育のレベルだって高い。だけど何がないかといったら、そういった問題意識、自分たちで変えていこうと、自分が主体になろうといった、そういうことがまだ日本人は弱いんだと思います。そこがだんだん若い世代が変わってきて、そしてそういう自覚を持つようになった時に、もうちょっと民主主義が成熟をする、育っていくんだろうと思うんだけど、欧米の国々もそれぞれ例えばフランス革命があったり、いろいろ革命があったりした。日本の場合、革命はないんですよね、戦争に負けたっていう実体はあるけど、革命はない。それでそういう形でどういう形で日本人がそれに気づいて、そして本当の意味で一人一人の主体性を大事にしていくようになるか、これからもっと力のある社会、人間として、人間力って言葉もあるんだけど、[43:39]やっぱりもっと一人一人がお上任せにしないで、もっと一人ひとりが自分の責任を果たしていく、そういう問題意識を持つようにこれからの教育の中でも、それがとても大事になってくるだろうと思います。

Jackie: 令和時代にその方向性が生まれてきますように。グローバル人材に日本になるべくたくさん来て働きに来てもらったり、日本人若者も相当外国に行ったりいろいろ集まってきて、そういう個性が育ってきている時代にもなるのではないかと非常に祈ってます。

Akiko: ただ、でもまだ何かやっぱりまだ差別があるような気がする。それもとても危惧することの1つですね。私はやっぱりできるだけ多様性を大事にする。一番基本なのはやっぱり多様性がとても大事だと思いますね。だから自分を大事にするのと同じようにすべての人を大事にし、そういったことを一人一人が持つ、それはひっくり返した言い方をしたら、差別をしない、あるいは排除をしない、そういうことが本当に一人一人の日本人に求められている。まだやはり島国であるということと、それからカナダのような国のようにいろんな国の人が集まってますよね、カナダの歴史そのものが200年くらいかな。スイスの人もいればドイツの人もいれば、いろんなアジアの人もいれば、先住民の方もいた。でも日本は歴史自体が非常にも古いじゃないですか、もう何千年という歴史を持っていて、しかも島国で、だからこれから私たちはやっぱりそういったところから脱却して、国際的に通用する日本人なるためには、やっぱり相手を認め、差別しない、そういうことがとても大事だと思うのね。

Jackie:  本当に賛同します。エンジョイのもともとの企業理念と思いながら、エンジョイの名前は、ご縁ということ、日本的な素敵な概念と思って差異を乗り越えて、むしろ差異のおかげで、ご縁を一緒に育む構築していく社会の自分の宿題として、それが日本で今まで経験してきた、仙台でもそうだし、信州長野の故郷のような筑摩市でもそうだし、草の根の私のずっと25年も歩んできた経験では、日本人はとても心が開かれて、私の差異、私の違うところもすごい歓迎してくださったですし、そういう日本国民の心に強みがある。国の規則とか政治エリートの保守的な、なかなか変わらない日本の昔ながらの社会男尊女卑の部分も強いし、昔の日本人の、他の人種、他の外国籍も日本人と違うそういう意識が、保守的なエリートの方にまだ残るという日本文化、そちらの方の変革が遅いと感じている。国民は、草の根で私が経験してきているのはとても皆さんが本当に開かれている心があります。

Akiko: ジャッキーも経験したと思うけども、私もアメリカで生まれたからアメリカの国籍、日本の国籍も当然のことが持っている、二重国籍でしたよねずっと。でも日本はそれを認めないじゃないですか、そういうところが非常に差別的だと思う、純粋日本人ってなあにと言いたくなるね。そんなものはないはずなんですよね。それからやっぱり二重国籍を認めないってとってもおかしい国だし、それに類したようなことがたくさん制度の中にありますね。だからやっぱりそういう制度そのものが非常に開かれていないまだ。やっぱりそこをどう改革していくのかってこれから本当に日本が国際化していくためには、そこに開いていかなかったら、世界はみんな国際化どんどんしていくわけで取り残されて置いてかれちゃうから、コロナひとつとったって世界全体ですよね、でもどこか地域じゃない、みんな結局全部一緒になっているでしょう、そういう時代にやっぱり自分の国だけが特別ということは主張するのはおかしいって、むしろ逆で、国も開き、そして制度も開いていかなきゃいけないときになんかいつまでたっても古い、今おっしゃったような過去からの純粋なもの、何をもって日本というのかということまで遡って考えると、文化はいいですよ、日本の文化を大事にすることはいいだけど。

Jackie: 人種にそれを結びつけるのはおかしい。日本の戦前でも植民地にしたところもありましたし、そういう出身の方々日本に住んでいらっしゃるのにそういう認識がない、純粋な日本人ではない、外国籍の扱いまだされているし、私の子供もそうだし、他の国際結婚の結果で、子供さんが遺伝がいろいろ混ざってるんですけど、日本に生まれ育つのであれば、日本の国籍ももちろん申請したいんだけど、申請できないんですね。不思議なのは、夫は日系カナダ人で、日系3世ですから、おじいちゃんおばあちゃんは日本人でした。でもカナダだけの国籍を持ってる私もカナダの国籍でいろいろなヨーロッパ系の母と父の親戚からのヨーロッパ系のカナダ人の私だけれども、日本の方が長い、カナダで生まれ育ったのに、日本は一番長いので、でも私はカナダ系日本人ですか、夫が日系カナダ人になれた、なれる立場もあります。法律上で国籍も当然もらってもいいような人種と関係ないで日系カナダ人になれる、制度もちろんカナダ側には認めているからそれが可能ですけど、カナダ系日本人に私はなれるのかって、まだ慣れない、自分の子供ももちろん日本の生まれ育ちなので、日本の国籍の所属感もないし、外人扱いされる、学校に行く時に、どこに行くときも外人の扱いされてしまうし、それも子供には非常に大きいな負担で、いじめの原因にもなるし、国際結婚で、グローバル人材で働きに来ている日本にいる人たち、その子供さんが日本国籍たぶんもらえれば絶対欲しいし、日本が大好きで、日本にも貢献しているし、コロナの中で、外国籍のパスポートなので出られない再入国が出来ない、たぶん再入国が難しい、今のところ日本国籍の皆さんは再入国は確実ですけど、外国籍のパスポートは再入国がいろいろ管理されているので、永住権があっても再入国の結構いろいろ厳しい規則があるので、ずっと日本にいるのにこういう権利の違いが非常に見えてきますね。アメリカ商工会、イギリス商工会の我々がそれを話し合って日本政府に依頼して、ぜひ永住権のある国際結婚のいろんな皆さんを外ものを扱いしないでください、私たちもアイデンティティーとしては日本が好きで、ここにいることも政府が認めていただきたいという依頼があります。最後ですけれども、さまざまな環境保護、女性の声、子どもの問題の解決、子どもの保護、そこからまた大震災までの幅広い意味で、いろいろ活躍してきたんですけれども、最近の10年間、政治家からまた市民の目線で市民団体、男女共同災害男女共同参画災害復興ネットワークの代表として10年ほどやっています、色々な重要な活躍してきたんですけれども、もう10年周年超えたばかりですけれども、それについての思いがありましたらぜひ。

Akiko: 災害があると、それまで潜在的にあるいろんな問題、例えば男女の差別とか、貧困の問題とか、そういった今までジャッキーが問題にしたようないろいろな問題が、平和な時は見えないんですよね。[54:38]一度災害が起こると、ああいう津波が来ると、そういった社会が抱えている問題が、雨後の筍っていうんだけど、雨が降ったあとのタケノコみたいに、ニョキニョキ出て、それでいろんな問題が出てきたと思います。一番大きかった問題はやっぱり福島の原発の事故ですよね。それで放射能の汚染があるために4万人ぐらいの方が、今でも自分の家に戻れないで居住禁止地区に家のある人は避難をしなきゃならなかった。そういう災害が起こったときに、やはり日本の中に抱えているいろんなそういう矛盾とか問題点とか、そういうものが本当に顔を出して頭を出してきて見えてくる。

Jackie: 私の研究で一番注目したかったのは、いろんな多様な女性の立場も多様な過程、非常に法律上で認識がない中、だからこそ排除されているで災害後にもそういう支援のもらうためにも排除されているから悪循環されて、差別がさらに差別を引き続きで、とても勿体無い、もちろん復興があり得ない部分と引き続きありますから

Akiko: 表面的に、道とか防潮堤とか、そういうものはあっという間にできてしまった、かさ上げするとか、だけどそれじゃあそういった人間関係とか、そういったいろいろいろんな意味で被害を受けてますよね、そういう今のように差別を受けた人たち、外国の人もいれば日本人もいますけど、いろんな形でそういった人たちがちゃんと復興という言葉を使わないから、回復しているかとか、それから避難していた人たちが、また元の生活をちゃんと得ているかというと、それはできていないと思うね。[57:14]だからセメントで作るものはすぐにできる。だけど人間の方の回復の方は10年経ってもまだ終わっていると思いません。

Jackie: 霞ヶ関の方にはハードインフラの方が解決しやすいからそちらに力先に入れたいし、予算もかけて早く実現すれば終わりっていうふうに思われてるんですけど、やっぱりソフトの面のインフラ、それも包括的な法制改善の部分と、人間関係、それを全体的に作り直す街づくりと、民主的社会じゃないですかね、基本の宿題としてそこにまず皆さんに集中してもらいたかったんです。

Akiko: この間福島へ行ってきたんですけど、一番私が残念だと思ったのは、漁師さんにもあったんだけど、セメントで堤防を作っちゃったりでしょ。海が見えないのね、本当にそこで生活している人の意見をどれだけ聞いて、セメントで防潮堤を作ったのかしらという話もしました。必ずしも本当に意見を言ったところはできてないんですよ、いらないって言ったから、だけれども、他のところはできちゃってる。私はすごく見苦しいと思うの。あの壁は15メートルぐらいか、本当に高いので海が見えない景色も見えないし、安全のためにも津波が来たときに、それを超えて入ってきた場合、こっちは逆に水浸しになってしまう。そういったことを考えたときに、この10年間というのはセメントで回復するんじゃなくて、やっぱり今おっしゃったように人の意見を、そこに住んでいる住民のことをきちっと聞いて、その人たちの希望に沿って民主的に解決していったのかというと、決してそうではないと思うので、そのことをとても残念に思います。

Jackie: コミュニティまちづくりの根本的なプロセスを変えるという宿題となります。いつまでたっても参画型民主的を草の根でプロセスみんなが分かっている参画しやすく包括的に動いている。そのようなソフトの面の民主的社会のインフラの構築が10年もかかるんですね。少しずつ皆さんが慣れるまでに、あと政府の方からそれも重要視しないと生まれてこないっていう問題点もありますので、もちろんトップダウンで管理するのは楽っていうこともあるんですけれども、結局出てくる解決策と決定が実際に多様な市民のニーズに合ってないことが現実問題の多くの事例があるから、ある程度合理的じゃないんですね、予算の使い方とプロセス意思決定のプロセスなので、それをぜひこれからもどんどん私たちもカナダの事例いろいろ持ち上げて提供したり、こういう参画型民主主義の多様性の包括的な社会づくり、令和時代にますます活発になるように祈ってます。最後に暁子さんから聞いている皆さんに送りたいメッセージか教訓があればお願いします。

Akiko: 教訓じゃないんですけどね、やはり市民の目線を大事にすることが私は好きなんですね、自分でもそれに徹していきたいと思っています。

Jackie: 90年も、とても豊かなジャーナリストから議員、県知事、市民団体の代表で、全部市民の目線から社会がうまく改善していくように努力してきた、頑張ってきた、これからも期待してますので、まだドキュメンタリーと、ぜひ生物多様性から人間の多様性へのメッセージとしてのあきこさんの素晴らしい目線、とても私も感動して、この番組を皆さんに共有できることをとても嬉しいです。今日は、ありがとうございました。