Reclaiming a town after a nuclear disaster, thought partnering with Mizuho Sugeno

Jackie Steele Diversity rocks innovation! Livestream & Podcast

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English follows the Japanese text. Japanese transcript below.

菅野瑞穂さんは、ご家族の農地で有機農法の農業を始めたばかりのときに、農地に2011年の福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染の被害を受けました。

「多様性が革新を起こす!」の第4回では、二本松市に有機農法を再生させるための彼女と彼女のコミュニティの歩みと、浪江町の道の駅なみえでの現在の彼女の活動についてお聞きしました。

私自身も、この5年間とても学ぶところの多かったこの素晴らしい若手女性の歩みには、勇気、折れない心、故郷愛とコミュニティの力が溢れています。

このエピソードでの聞きどころ:

  • 福島県二本松市での有機農業の歴史
  • 2011年の原発事故の被害を受けた農地を再生させるための歩み
  • 農業体験を通じた農地の実情を学ぶ機会の提供
  • 若手女性として福島で活動することに対する心理的な圧力と、セルフケア、気分転換の重要性
  • 避難者が浪江町に戻ってこられるようにするための活動

福島県二本松市に生まれ育ち、菅野さんは2013年に福島で「きぼうのたねカンパニー」を立ち上げて、若い世代を中心に福島の農業体験やその可能性について学ぶ機会を提供し続けてきました。2011年の震災の時に23歳、きぼうのたねカンパニーを起業したのが25歳、と若いながらも高い専門性や幅広い知識を生かして活躍される菅野さんからは、非常に多くを学ぶことが出来ます。

震災以降に浪江町に移住し、2020年にオープンした「道の駅なみえ」の農業担当となった菅野瑞穂さんの挑戦をお伺いいたします。原発から10キロ、現在も町民の約10%しか帰還していない福島県浪江町で放射能汚染からの「土の再生」に取り組み、「有機農業」の普及に尽力しています。土の再生に利用されるひまわりのスーパーパワー(セシウムを吸い上げる)、汚染された上層の土と安全な下層の土を反転させる反転耕など、その手法には驚くべきものがあります。

Mizuho Sugeno had just started her own journey with organic farming of her family’s fields in Nihonmatsu City, Fukushima Prefecture when the 2011 nuclear disaster at Fukushima Dai Ichi rendered the soil contaminated. In Vol.4 of Diversity rocks innovation!, hear how she and her community worked to bring back organic farming to Nihonmatsu and now also Namie Town through her position at the Namie Michi-no-Eki (Roadside rest area and farmer’s market). Courage, resilience, and love of furusato and community are all present in this amazing journey of a young woman who is truly wise beyond her years and who I am so proud to learn from over the past 5 years.  

In this episode you’ll hear:

  • The history of organic farming in Nihonmatsu City, Fukushima Prefecture
  • The discovery of how to revitalise fields that had been contaminated in the nuclear disaster of 2011
  • How Mizuho brings people to Fukushima to learn about the real situation on the ground
  • The pressure of working in Fukushima as a young woman and the importance of self care and time out to refresh
  • How Mizuho is helping rebuild the town of Namie now that people are able to return

About Mizuho:

Born in Nihonmatsu, Mizuho launched the Kibo no Tane Company in Fukushima in 2013 and has continued to provide opportunities for younger generations to learn about Fukushima’s agricultural experience and its potential. Mizuho moved to Namie town and now works at Michi-no-Eki Namie, in charge of farming. In Namie Town, Fukushima Prefecture, which is 10 kilometers from the nuclear power plant, where only about 10% of the townspeople have returned, people are working on soil regeneration from radioactive contamination and are making efforts to increase organic farming. Techniques, such as the superpower of sunflowers (sucking up cesium) are used to regenerate the soil, as well as reverse plowing that replaces the contaminated upper soil with safe lower soil.

Connect with Mizuho:

Michi no Eki Namie: https://michinoeki-namie.jp/

Kibou no Tane company http://kibounotane.jp/

Women’s Eye https://womenseye.net/ 

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Transcript

Jackie: 多様性が革新を起こすへようこそ。

本日は、素晴らしいゲストをお招きしました。

このオンライン配信は、エンジョイの発想のパートナーを紹介しながら、新しい視点やコンテンツ、専門知識の共有、様々な業界、分野、多様なアイデンティ、国の間で革新と連帯感を醸成し、復旧させることを目的としてます。2021年2月22日から、日本時間の火曜日お昼12時から1時までの時間、発想パートナーとの映像配信インタビューをZoomにて、日本語と英語で交代でお送りしてます。

皆さんが学びながら自分のお昼を食べながら、新しい視点を学ぶこと意識する把握することができればと、とても嬉しく思っております。

発想のパートナーと声を上げるという目的とか実践、こういう新しい実践は二人の人間が一緒になって、専門知識や実体験、それに根ざした視点を共有することで、世界をよりよくすることができます。私たちは地球市民であることこそ生涯学習が必要だと信じています。エンジョイの発想のパートナーと声を上げることを通して、私たちが公約とする多様性、民主的社会の発展、革新を広げていくことが本当に出来ると思います。個人の平等に根ざした関係性、多様な共同創造性そして根本的な個性の尊重することによって、人類と地球との未来を向上させることができます。心より信じてます。祈ってます。

本日のゲストをお招きしましょう。菅野みずほさんをお招きして、農業、有機農業、地球問題、環境、土の再生、様々なことについて学ぶ機会です。

多様性が革新を起こすへようこそ。

みずほさん、本日の生放送に参加していただいて、今回も大震災2011年の3月11日、いよいよ10周年記念になって、この特集は、菅野みずほさんから、これからの6人の発想のパートナーをお迎えして、様々な教訓がたくさんありますし、忘れられないこと、そして皆さんが、10年経ってるんですけども、まだまだ注目する必要があるっていう課題について、様々なゲストをお招きしていろいろ学びましょう。みずほさん、よろしくお願いいたします。

Mizuho: よろしくお願いいたします。

Jackie: みずほさんに出会ったのは、2017年、私が東京大学の准教授に勤めてる時期になりますが、その時に、多様性と災害復興とか東北復興を、2011年から自分の研究課題にして、政策と公共政策に、どういうふうに多様な女性の声とか現地の草の根の女性の声とか、実体験がどれほど公共政策に反映されてるのか疑問を感じて、参画型共同研究プロジェクトを立ち上げまして、NPO Women’s Eyeと一緒に共に歩んでいこうっていう素晴らしい協力関係がありまして、 そのプロジェクトとして、東北にいらっしゃる若手女性リーダーに注目して、地元の若手女性たちが、どのような活動を狙ってるのかとか、そのような育成プログラムでもありましたし、お互いに支えながら学んでいこう目的で、その時に2017年にみずほさんに出会いまして、有機農業と土の再生について、とても勉強になりました。その専門性がとても素晴らしくて、今日は聞いているみなさんに、その専門知識とみずほさんが歩んできた、この10年くらいについて紹介していただきたいと思っています。

福島県二本松市のお生まれですが、二本松の特徴的な歴史も含めて、自己紹介をお願いします。

Mizuho: 初めまして、菅野みずほです。福島県二本松市というところで生まれました。代々、有機農家をしておりまして、私は2010年から有機農業をやっております。震災のあった2011年は、福島県二本松市で、農業をしていた当時だったので、その時は23歳でした。背景としましては、小さい田んぼ畑がたくさんあるので、いわゆる日本の中山間地域、里山いうところで農業していたわけなんですけども、原発から約50 km 地点にある所だったので、放射能汚染の深刻な影響は、実害としてあったところです。養蚕や、小さい土地で野菜を作ったり、畜産をやったりといったところの場所で生まれ育ちました。

Jackie: 二本松の歴史として、有機農業を早めに導入したとお聞きしました。なぜ二本松は、そのような道を選んだのか、選ばないといけなかったのか、大きな合意形成が必要じゃないですか、このような企画を実現するためには。そのことについて教えてもらえますか。

Mizuho: 私の親世代にあたる60代前後の世代の方々が、有機農業を学んできて、今から30年前くらい地域全体として有機農業を推進して行こうっていう流れがありました。まずはトマトとかきゅうりとかなすとか、できるだけ仕事にできるような栽培から始まったんですけど、そのためにはまず土作りということで、地域にある食品残渣とか堆肥を利用して、堆肥センターを設立しまして、その土をみんなで使用しながら、 いい土作りと野菜を作ろうということで、販売先も自分たちで切り開いて、健康志向の、より安全を考えた農産物を届けたいっていう気持ちで、首都圏の方とのネットワークを、一つ一つつないできた経緯があります。

Jackie: 30年前ぐらい前の課題として、なぜ二本松では、そのような動きがありましたか? 

Mizuho: 以前、養蚕をやっている地域だったので、桑の葉っていうのは農薬を使えないっていうところで、土の状態から、そういう有機農業に変えていけるところは、結構スムーズに行けたと思うんですね。大規模化できない場所、山の谷のようなところで、大量生産できるような土地柄じゃないっていうところもあったので、そういった地形を活かしながら、決して恵まれた環境ではないからこそ、この地域で何ができるかっていう、先人たちの知恵と技術を磨いてきた経験がありました。

Jackie: 30年前に、実際に地域で有機農業を選択して 、きれいな土を大切にして守りましょうという動きがあったんですが、原発事故が起こったということで、せっかく守ってきたきれいな土が、どうなったのかといったところをお話いただけますか?

Mizuho: 二本松は、原発から約50キロ地点ではあるんですけども、避難指定地域に指定されなかったので、その土地でどうやったら、ここで有機農法がつづけられるかっていう考えにはなったんですけど、放射能汚染されたのは確かに事実なので、ここで作物が実際に作れるかどうか、安全な作物を届けられるかどうかっていう不安は常につきまとっていたっていう現状もありました。大学の専門の先生方と一緒に連携しながら、山の汚染の調査や、水、土の検査それぞれの専門性に特化した先生方を集めて、全国の有機農業専門の方と一緒になって現場で研究を重ねてきたという経緯があります。

現場を知らない人たちやメディアも含めて、まずは現場の声をしっかり届けるってことで、この土地で生きるためには、まずは知ることなので、すべてを測ってその安全性を確かめられた上で、消費者に届けたいっていうことで、私は農業2年目という年だったんですけども、その土地を離れることをせずに、放射能汚染の問題は、10年から20年それ以上の現状だと思ったので、自分からそこで向き合うという選択をして、作物を作って消費者と一緒になって考えてきたっていうことがありました。

Jackie: 世界中から良くも悪くも福島に注目が集まって、原発の反対運動や、原子力とともに住むという選択肢に対して、いろいろな圧力があったと思います。有機農業の専門家の知識と、みなさんの連帯感で、この現場を復活させる、土の再生の課題の解決に取り組むという動きがあったことは、素晴らしいと思います。その他の事例として、ひまわりのスーパーパワーと土の再生について、紹介していただけますか?

Mizuho: 2011年6月に、田んぼ一枚をひまわり畑にして、種をまくイベントを開催しました。ひまわりがセシウムを吸い上げるっていう事例もあったので、まずは何かしてみないとわからないっていうことで、田んぼ一枚作るのをやめて、ひまわりの種をまくことに取り組んで、1年間は、どうしたら放射性セシウムを土から下げることができるかいうことにチャレンジしました。もう一つは、除染をしなかったので、田んぼ畑に関しては、土を上にひっくり返してっていうような反転耕っていう作業をやって、 表面に降り積もった表土5センチから10センチの放射能を地中に埋め込めるっていうことで、どうしたら野菜に放射性セシウムが吸収されないようになるかっていうところを研究者の方と考えながらやってきました。

Jackie: 土の再生をするためには、いろいろな実験が必要ですね。ひまわりを試してみて、どのような結果がでましたか。

Mizuho: しっかり耕して有機物の堆肥を入れることによって、セシウムはそこからを混ざり合うことによって、作物には移行しないということが、研究者と一緒にやってきてみたことです。土の力が非常に重要で、化学肥料入れるのではなく、農薬を使うのではなく、有機物の土をしっかり作ることが、福島の農業の再生に結びつくということを学んできた結果です。

Jackie: 地球の再生力が印象に残ります。ひまわりがセシウムを吸収するということは、世界の研究や事例から分かってきたことなんですか?そして初めてそれを日本で実際に実験することになったんでしょうか?

Mizuho: ヒマワリがセシウムを吸収するということは、前から言われていたことだったので、試験的にやってみたっていうのがひとつあります。 作物によってセシウム を吸いやすいもの、吸いにくいものがあるということはわかってきました。柿とか柚子は、セシウムを吸い上げやすく、高い数値が出てしまうともありましたし、最初の一年は全部測って何が数値が出るのかっていうのを全部確かめながらやっていきました。

Jackie: きぼうのたねカンパニーという会社を起ち上げられて、独立して自分の畑をやりたいという選択をされたことについて教えて下さい。

Mizuho: 2013年に、きぼうのたねカンパニーという会社を立ち上げたんですけども、目的としては、福島の農業を日本、世界に発信して、現場に足を運んでもらいたいなって気持ちがありました。

人と自然、人と人がつながることによって、一人でも多くの人に正しい情報を理解してもらうことも含めて、イベントやツアーを旅行会社と連携して企画して運営してきたっていうことがあります。自分自身が立ち上げたっていうことに関しては、もちろん親が守ってきた先祖代々の土地も大事にしつつ、これから、これまでつながりを持った人たちと、新しいことを生み出していく可能性を感じたので、自ら新しいフィールドを持って始まったっていうことになりました。

Jackie: 5周年記念の画像がありますので、それについて紹介いただけますか。

Mizuho: このきぼうのたねカンパニーは、ロゴマークは、一つ一つの種をイメージしてます。原発事故が起きてどんなことをするにしても、まずは種をまかなければ何も始まらないと思ったので、その一つ一つのたねを大事にしながら、新しい命の芽吹きを作っていきたいなと思って。この種も一つ一つ個性があって違うんだよっていう意味も伝えたいと思って。

これは私の畑で、私は東京の体育大学出身なんですけども、後輩たちが夏休みに来てくれて畑でジャガイモ掘りをしたところですね。ここは標高600 m の高原畑になりまして、空と大地しかないような場所なんですけども、都会の騒がしいところから少し離れて、その学生たちが生き生きとここで体験して楽しんでもらえるっていう場を提供したいと思っていたので、学生たちに定期的に来てもって体験活動をやってきました。これまでやってきた歩みは、きぼうのたねカンパニーのホームページで掲載しております。いろんな人と繋がって、それを形にしていく。みんなが新しい未来に向かって一歩踏み出して欲しいなと思って、本当に小さい活動ではありますが、いろんな若い人達に来てもらって、畑での可能性、福島の農業の課題もみんなに伝えながら考える学ぶっていうこと大切にしてやってきました。

Jackie: この会社を設立した際は、25歳というとても若い段階から、大きなビジョンを持って、参加型体験で、みなさんが土をさわったり、野菜の種を撒いたり、収穫の手伝いに来たり、地球の土地の力と、人を巻き込みながら、お互いに歩んでいくためには、面白い参画型の体験ツアーをみずほさんが起ち上げて、よく日本では、外国人向けに日本の伝統的文化を体験できるものを起ち上げているんですけど、日本人向けとか、世代間交流の意味でも、長野でも農家で活躍されているのは、おじいちゃんおばあちゃんたちですが、次の世代は、土地から離れて、サラリーマン、サラリーウーマンとか公務員とか、そちらに移ってきている。農家の重要性、農家のおかげでおいしい食べ物があり、農家の誇りを持った住み方、歩み方、あり方、生き方。いろいろ近代的になって土地からどんどん離れてという傾向が強い中、他の地域では原発事故は起きていないのに、農家があまり奨励されていない状況がありながら、少子高齢化の影響でみなさんが都会に移ったり、地域の人口が減り、さらには原発事故が起きハードルが高いという事情のなか、福島で農業をやろうと25歳で決意して歩んできて、大変だったかと思いますが、人との支えが強くないと続かない気がしますが、いかがですか?

Mizuho: 過疎地域でありながら、原発事故で失ったものも多い、その中でないもの探すよりも、この地域の中であるものを探していこうっていう視点を持つことを、すごく大事にしていました。ないものは作り出すという考えで、いろんな人との連携ができたのは、一番は人との出会いよって新しいものを作れていったっていうのは大きいです。困難なことを乗り越えてきたというよりも、自分の中で今できることは何かっていうことを考えてきた結果だと思うんですけども、やはりあの震災から10年っていう節目ですが、私の中ではまだ終わってないよっていうか、まだまだこの原発事故に限らず、今コロナウイルスとかいろんな社会の変化が起きてる中で、自分自身も変化に対応していく力っていうことが大切じゃないかなと思ってるので、地域の人と自分の周りの人とお互い支えあって対話する、今回、ジャッキーさんからも声かけてもらったように、色んな場を持って自分の思いを発信したり、皆と新しいものを作っていくっていうことが、より自分らしく輝けることにつながっているかなと思っています。

Jackie: これまで研究のため、みずほさんも含め15人の方にインタビューしてきて分かったことですが、自分の生まれ育ったところから離れてみて、その場所のすばらしさ、特徴、個性に気がつくということをよく聞きます。15名の方たちは、街つくりに熱心で、自分の生まれ育った街で、街つくりに関わる人もいるし、違う地域でそこのコミュニティに入ろうとして、そのコミュニティの特徴を理解して、尊重することが、みなさんへのインタビューから分かってきたんですが、リーダーシップ育成プログラムをわざわざシアトルで受けながら、日本から離れて違う目で日本をみる、ふるさとを振り返る、そして時間をとって、自分に向き合う時間、自分の幸せのためには何が必要、重要なのかを考えるといったような経験をしたあと、リーダーシップの視点からどういう影響がありましたか?変革がありましたか?

Mizuho: 2017年と2018年に、アメリカのシアトルとロサンゼルスに研修に行って、福島に住んでいるっていうだけで、多くの支援者がいるっていうことをすごく実感した経験となりました。アメリカの女性たちのリーダーシップの話を聞いて感じたことは、自分の幸せを心の真ん中に置くということを常に大事にして、女性として生きることの素晴らしさを伝えていただいたときに、小さい中で活動していると、生きづらさというか、若い女性で注目されるってことに関して、自分自身とみんなが見ている自分とのギャップを感じてしまったりとかということがあったので、いろん  vな視点で見るということを学んだ経緯がありましたので、 自分から変化していくっていうことを自分の中で決めたので、2019年は福島を離れて、一年間、宮城県の南三陸に自分自身のセルフケアを含めて行きました。

Jackie: とても重要ですね。自分と、他のみなさんが自分の姿をみて思っていることのギャップが大きくなればなるほどつらいし、期待されすぎると、自分らしさと合わないのであれば、プレッシャーが重くなるし、自分の個性が尊重されているわけではないし、自分の個性、あり方、生き方を主張しながら、自分らしさを尊重してもらいながら、それに沿った期待をもらえるようにする人間関係は重要ですし、でも勇気、自信が必要ですし、自分に向き合って自分を大切にするという決意をして、自分の幸せ、命を大切にするための選択をするなかで、周りのプレッシャーに流されことも多いし、女性にとっては難しい課題もありますし。東北の若手女性リーダーが草の根の街つくりをするという、そういう個性が認められるわけでないときもありますし、街のためにやるのはいいのですが、自分が流されないようにするのは、大きなプレッシャーですね。世界の仲間作り、福島県、岩手県、宮城県で活躍している若手女性のリーダーの仲間作りで支え合うネットワークができたことは、重要な結果で、インパクトがあったと思います。リーダーシップを発揮したいのであれば、まずはセルフケアをしないといけない。矛盾のようにも聞こえるが、自分がパンクしてしまうと、みなさんも頼れなくなるので。

シアトルに一緒に行かれたみなさんにとっては、重要なレッスンになったことでしょう。

南三陸でのセルフケアをして、自分の挑戦したい道が見えてきたのかなと思うのですが、現在の活動についてご紹介ください。

Mizuho: 今は福島県浪江町っていうところに暮らしてます。浪江町は、4年前に避難解除になり、原発から約10 km 地点です。現在は、居住人口が1500人ぐらいで、震災前は、21,000人だったので、まだ住人が戻ってきたのは10%に満たないくらいの人数です。そこで道の駅浪江という商業施設で、農産物、野菜や米の担当として仕事をしています。自分自身の軸である有機農業は大事にしながら、浪江町で農業を再開する人たちと一緒に自分自身も野菜を作って、その道の駅に出荷する野菜を販売するっていうことで、この地域がこれから農業を基盤にしながら発展していくということを一緒になってやっている現状です。

Jackie: 二本松市は、原発から1時間位の距離で、それでも大きな影響があったのですが、浪江の方は、10kmと、もっと原発に近いんですね。みずほさん、挑戦が好きですよね。6年間、人が住めなかったところで、今まで分かってきた専門性を活かして、農産物の担当をされてるんですが、健康に対する心配のあるところに戻るのは、仕事の関係などで男性が多いのではないかと思います。子供が住むのには推奨されないという傾向もあるかと思います。浪江町では、どのようにそれを乗り越えようとしているのですか?

Mizuho: 1500人が戻ってきて小学生10人ちょっと、中学生も数人しかいない学校環境ではあるんですけども、病院とかそういったところも診療所しかないところで、子育てをするにしてもなかなか環境が整っている状態ではないんですけども、そういった小さい地域の中で、物やサービスをこれから作っていくところで、もちろん便利か不便かって比べたら、不便の方が大きいとは思うんですけども、自分たちがこの街で丁寧な暮らし、より安全なものを作り出すっていうことも選択できると思っているので、私自身は農業や食を通して、環境に優しい食を子供達に届けたいなと思ってますし、マイナスから始まった街づくりではあるんですけども、そこからのワクワク感で、この街に思い入れのある人が戻ってくるっていうことによる楽しい地域っていう、みんなが見ているビジョンが同じところだと、より力が湧いてくるんじゃないかなと思ってるので、世界の中でもいきなり超過疎地域になってしまったようなところで希少なところ、なかなか他の地域には事例がないようなところではあるんですけども、自分たちがその地域で 持続可能な社会、風土をつくるっていう考え方にシフトしていけば、絶対面白い地域になるんじゃないかなと思っています。

Jackie: レジリエンス、勇気がありますね。つい最近も地震がもう1回起きて、原発の廃炉が行われてると言いながら、まだ40年かかりそうという事実もありますし、また地震が起きたら、津波また来たらと、危険性がある中で勇気を出して、今ある時間、今ある機会として浪江町で、コミュニティを作ろという勇気は、とてもレジリエンスが高いと感じます。

土の再生、街の再生、ゼロから危機がある中でも、選択していこうという歩みかたが心に残ります。最後に、みずほさんが、視ているみなさんに送りたいメッセージがありますか?

Mizuho: 世の中何が起こるかわからないっていう中で、私自身がこの地域で活動していくことによって、誰かに夢や希望を与えたりとか、勇気を持って行動するっていうことに繋がったらいいなと思ってます。特に原発、放射能っといったリスクと隣り合わせの環境の中で暮らしてはいるんですけども、何かあった時にすぐに行動できる備えているというのも、この前の大きい地震があった時にすごく感じましたし、自分らしさを追求しながら農業と環境の教育、アグロエコロジーっていう考え方も自分自身も勉強しながら、地域の人と農業をやっている人と、何か新しい地域で挑戦したいっていう人と一緒になって作り上げていきたいなと思っていますので、ぜひ仲間を募集したいなと思っていますし、機会があったら浪江町に足を運んでもらいたいなと思っております。

Jackie: このライブストリームをみているみなさま、enjoiに100名くらいの発想のパートナーのみなさまがいらっしゃいますので、サステナビリティとか環境問題に関わっている方々もいらっしゃいます。私も、仲間を募集を呼びかけます。

令和の時代の日本、包括的で、個性の尊重、多様性が尊重される、アイデンティティ、国、文化など多様なことで、革新を起こすと思っています。enjoi の発想のパートナーのネットワークでも仲間を募集したいです。みずほさんには何年にも渡って学ばさせていただきました。これからも、みずほさんが選ぶ道、歩んでいく道に期待し、応援しています。ありがとうございました。

最後になりましたが、エンジョイ多様性と革新から、多様性、平等、リーダーシップ、革新の関係性、民主的社会の発展を学ぶワークショップを提供しています。企業向けにはコンサルティングもやっております。ぜひお声がけください。仲間も募集しております。