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English follows the Japanese text. Full transcript follows.
佐藤美代子さんは、岩手県花巻市の助産師さんです。東日本大震災時の妊婦さん、お母さんたちを取り巻く困難の解決支援の活動に取り組み、のちに「NPO 法人まんまるママ岩手」の事業を起ち上げ、政治への働きかけ、行政との連携にいたるまで歩みについてお聞きしました。その歩みの根底には、妊婦さん、お母さんへの思いやり、また女性の人生観についての想いが流れています。
このエピソードでの聞きどころ:
- 助産師や女性の性の健康の専門性を目指した背景やきっかけ
- 妊婦さん、お母さんを取り巻く岩手県での環境の実情
- 東日本大震災時の状況と妊婦さん、お母さん、赤ちゃんを支援する活動
- ボランティア活動からNPO法人の起業への歩みと女性の環境改善についての政治、行政への働きかけ
- 女性の人生観についての想い
美代子さんについて
佐藤美代子さんは、岩手県の花巻を中心に、産後の女性たちのケアのためのNPO法人「まんまるママいわて」を立ち上げて代表を務める助産師さんです。
地域に根付いている家父長制の問題や、高校生時代に見聞きした「援助交際」などを通じて、女性の身体のケアに関心を持った佐藤さんは、助産師(看護師免許+1年で得る国家資格)になり、子育てをしながら働いていました。東日本大震災によって壊滅的な被害を受けた岩手では、産院も罹災し、産後の母子のケアも困難になりました。そうした中で佐藤さんは温泉施設などを利用した福祉避難所に通い妊婦さんへの支援活動を始め、やがて任意団体として「まんまるママいわて」を立ち上げます。現在はコロナ禍で産後うつや夫婦関係の悪化などの悩みを抱えるお母さんたちの体や心のケアに取り組んでいます。
助産師としての専門性の高さ、地域のネットワーク、行政機関や議員へのアドボカシー活動・提言や働きかけなど、インタビューからは佐藤さんご自身の前向きなエネルギーやパワーが伝わってきます。
When Miyoko Sato heard about the tsunami that had destroyed a large part of Iwate Prefecture in 2011, she strapped her own baby onto her back, grabbed her three year old’s hand and went out to help the new mothers and babies, forced to live in communal evacuation centers. Her story of helping others and creating an NPO that continues to support and empower mothers in a rural area of Japan is an inspiration. Women like Miyoko give me hope for a Reiwa Japan where women’s reproductive health rights and greater investments in gender equality can flourish to empower women, even to the grassroots of Iwate.
In this episode you’ll hear:
- Why Miyoko decided to train in midwifery and women’s reproductive health
- The situation facing pregnant women and mothers in rural Iwate Prefecture
- What happened when the Great East Japan Earthquake struck
- How Miyoko supported pregnant women, new mothers and newborns with critical care
- How Miyoko went from a volunteer to starting an NPO and working with politicians and local governments to improve the situation for women
- Miyoko’s message to women about exercising choice and stewarding our own lives
About Miyoko:
Miyoko Sato is a midwife and founder of the NPO “Manmaru Mama Iwate,” which cares for women after giving birth in Hanamaki, Iwate Prefecture.
Miyoko became interested in women’s issues when she noticed the reality of the male dominated family system in rural communities and “enjo kosai” or sexual exploitation of classmates she saw and heard about in high school. Miyoko has continued her work while raising two children in Iwate, which was devastated by the Great East Japan Earthquake in 2011. Miyoko started to help by visiting evacuation centers to care for new mothers and babies and then launched “Manmaru Mama Iwate” as an NPO. She is currently working on physical and mental health support for mothers who suffer from postpartum depression and worsening marital relationships due to the coronavirus pandemic.
Connect with Miyoko:
https://www.facebook.com/manmaru.iwate/
Connect with Jackie:
Website: https://en-joi.com/
Facebook: https://www.facebook.com/enjoidiversityandinnovation
https://www.facebook.com/jackiefsteelephd LinkedIn: https://www.linkedin.com/in/jackie-f-steele-phd/
Transcript
Jackie:
「多様性が革新を起こす」のライブストリーム へようこそ 。
長年にわたって日本で教鞭を取っているカナダの政治学者スティール・ジャッキーと申します。
現在は、「エンジョイ多様性と革新」創設者とCEO。そして教務しております。
エンジョイは、日本を拠点として世界に向けて英語、日本語、フランス語で発信する、多様性ビジネス戦略のコンサルティングやD&I育成トレーニングを行なうエドテック企業です。
このライブストリームでは、エンジョイ多様性と革新に連なる発想のパートナーが実践する多様な取り組みを紹介します。
住みやすく包括的で、多様性に前向きで男女平等なリーダーシップを世界に届けている発想?のパートナー特徴的な取り組みをお聞きください。
私たちは多様性と革新の実現に向けて発想のパートナーと声をあげていきます。
この手段は、私が以前シアトルで受けたヤマモトイズミさんのリーダーシップコーチング育成プログラムから学んだ概念と実践です。
他者と豊かな経験と洞察から連携の構築を学んでいく生涯学習の重要な部分だと感じて、非常に感銘を受けました。この手段は、エンジョイが民主的平等の連携構築を推進し、リーダーや関係者の間にあって相互に与え合い、違いを認め合うようなネットワーク作りを日本とアジア太平洋地域で築く柱となります。具体化すると毎週D&Iの協賛賛同者のなかから1名をライブストリームにお招きして、発想のパートナーと声をあげるというプログラムを放映します。
このプログラムには、名刺交換や先輩後輩関係、ジェンダーや人種、年齢、むしろ
能力に基づく階級もありません。このプログラムにあるのは、相互の違いと個性を尊重する公平な関係だけ。エンジョイライブストリームの大きな目標としては、多様性、民主主義、平等、公正、持続可能な革新にまつわる言語や知識を育み、個人と集団のために貢献することになります。
それでは、本日のゲストをご紹介したいと思います。本日のゲストは、サトウミヨコさんです。
Jackie:
「多様性が革新を起こす」のライブストリーム へようこそ 。
第6回のプログラムへのご参加、本当にありがとうございます。
Miyoko:
ありがとうございます。よろしくお願いします。
Jackie:
ミヨコさんの豊富なご経験を共有いただくために、まずは自己紹介をお願いします。特にご自身の核となる部分を交えてお願いします。
Miyoko:
日本の岩手県花巻から今日は参加しております。助産師のサトウミヨコです。今日はよろしくお願いいたします 。
私は、助産師として NPO 法人まんまるママ岩手という法人の代表理事をしております。メインでやっているのは、産後のお母さん達のケア、妊婦さんたちのケアを行っています。
私は岩手県盛岡市出身で、自分の祖父が市議会議員を長く務めておりまして、祖父が色々と地域のためとか、社会のために活動するかたわら、やはりまだ東北では、家父長制度、おじいちゃん、長男が偉いというようなお家の中で育ちながら、私が12歳の時に両親が離婚するということがありました 。その時に、母は私達を引き取れずに、おじいちゃんとお父さんと一緒に育ったんですけれど、 高校生になるぐらいの時には、時代で言えばコギャルブーム、女子高生のスカートが短くなっていって、ポケベルや PHS 、そういう私の友達達の中には援助交際というような売春行為をしたりとか、性行動によって性感染症になったりとかっていう友達も見ながら、私もいつそうなってもおかしくないなと思いながら、17歳の私には、自分で選択した結果なんだから、それでいいんじゃないかなと思っていましたけれども、看護師を目指して看護学校に入った時に、女性の体の仕組みを学んで、その時にお薬を飲んで治るわけではないとか、その時の行動が将来的な不妊症につながるとか、女性が自分の体と心を傷つけてしまう可能性があるっていうことを知って、 私は助産師になろうと思って助産師になりました。
Jackie:
そのとき、看護師よりも助産師の方が興味深いと?
Miyoko:
そうですね。日本では、助産師は、看護師の免許を取らないとできないので、看護師の免許を取ってから、またさらに1年勉強を重ねて国家資格を二つ、助産師と看護師を持っているという形で、平成13年に岩手県の県立病院に勤めました。岩手県は、すごく広い土地なんですけれども、四国を含むぐらい、関東でいうと、東京千葉埼玉を含むぐらいの広い一つの県なんですけど、産婦人科がどんどん少なくなっている状況の中で就職をしました。
産婦人科で働いていると、妊婦さんたちが、山を越えて1時間とかかけて、妊婦検診に来たり、時々陣痛が起きてから間に合わなくて、車で生まれてしまうような事例を経験をして、 そういう経験を5年間する中で、なんで特に田舎に住む女性が、こんなに辛い思いをしてお産をするのか、多分、東京では間に合わなくて途中で産まれちゃうとかっていうことはあまりない、でも、それに対して声を上げない土地柄に疑問を感じて、開業助産師の道に進みました。その間に私も二人子供産んで、10年前の東日本大震災をきっかけに被災地支援をして、今の団体を作っていたっていう形になりますね。
Jackie:
若い頃から色々意識が高くて、周りの社会の女性や男尊女卑の問題点とか。女性が自分の体についての情報を得ない限りリスクが高いし、私は、20年以上長野県に住んでいる間に、援助交際の話題について聞いて、このような課題はどう解決するのか、どこに報告に行けばいいのか、法律的な問題、犯罪として扱われるのか、本当に難しい課題。
岩手県で、助産師さんの数が少なくなってきた傾向の背景を教えてもらえますか?
Miyoko:
助産師の人数は少ないけれども、300人とか400人いると思います。もっと背景的に言うと産婦人科医師ですね、やはりドクター達がすごく少ないっていうことが、一番の問題点だと思います。ドクター達が悪いのではなくて、今の国の制度だったりとか、東京の方が学べたりとか、やはり産婦人科医師の一極集中して、先生たちドクター達は、産婦さん達を安全に分娩させるためには、一人で見るよりも何人かで、必ず一極集中で何人か病院に集めて、その中で分娩させる方が安全だという考え方で、国もそれを推進しているので、ドクターが悪いとか、助産師が少ないから悪いというような単純な問題ではなく、国の政策の方の問題なんじゃないかなっていうふうに思います。
Jackie:
カナダでも昔の助産師のやり方よりも、医学的なトレーニングの方が、一番安全だろうという考え方があったんですが、この30年くらいは、女性に寄り添い、女性の体に詳しい助産師さんのケアを中心にすることが重要という気づきがあった。
病院でお産する場合でも、それまでの助産師さんの寄り添いと、ドクターさんたちでチームで連携して、何かあった場合は、すぐに先生が対応できるように、助産師の近くにクリニックがあるとか、インフラを構築していくためには長年かかるかもしれない。そのような方向性は、岩手県にもあればいいと思いますか?
Miyoko:
私がまんまるを立ち上げる前は、そういう活動を非常に熱心に市民活動としてやっていたんですけれども、東京には助産院ということでドクターが施設内におらずに、正常分娩だと助産師だけで分娩介助するっていう方法があるんですね。私もそこで1年間勉強して岩手に戻って来たんですけれども、異常があった場合に運べる距離だったり、元々ドクターたちの数が全く違うところで、岩手県では非常に難しいなと自分では思っていますけれども、将来的に助産師とドクターとの異常、正常の住み分けをしながら、お互いの能力を発揮して、お母さん達のためになる分娩システムが構築できたら一番いいだろうなとは思います。少しずつ岩手県では、院内助産制度だったり助産師外来といわれるものが、ここの10年で進んできてはいるので、少しずつお互いの役割分担をしながらという風には進んできているんじゃないかなと思います。
Jackie:
専門性が妊婦さんのためになりますようにと思っています。今回のシリーズは、311の10周年記念として、発想のパートナーとして経験を共有していただいてますが、大震災の頃のご自分の姿と、そのあとのご自身についても、ぜひ紹介してください。
Miyoko:
ちょうど10年前に2011年に、私は3歳の子供と5ヶ月の赤ちゃんと自宅におりました。その時に東日本大震災が起こったわけです。家から海は2時間ぐらい離れているので、津波の影響は全くなかったんですけれども、大きな地震が襲いましたので、家を建てたばっかりだったんですけど、テレビが割れたりとか、色々物が倒れてガラスが割れて、非常に怖い経験をしました。電気が全て止まって停電になってしまったので、あんなに大きい地震を経験したことはないし、停電も経験したこともないし、オール電化に近いような家で、3月の岩手県は、まだ寒かったですよね。信号も止まって、どこも市内は本当にパニックみたいな形で、私はとにかく赤ちゃんにおっぱいを飲ませなきゃっていうことを思っていて、助産師なので母乳をあげていれば赤ちゃんは大丈夫っていうのは知識で知っていても、お昼ご飯も普通に食べたからそんなに急に止まるわけではないんだけれども、夕飯の準備もできない、おせんべいを食べながらっていう状況で、おっぱいが出るのかなって非常に不安で心細くて、そして何度も余震が続いて、津波のことは全く知らなかったんですね 。ラジオもないし、自分の家のことだったり、世の中がどうなってるのか、テレビもラジオも何もない中で、1日2日を過ぎた後に、テレビ電気がついて初めて津波のことを知りました。その時に思ったのは、自分が働いていた病院が海の近くだったこと、親戚、友達を思い浮かべて、もう今すぐにでも飛んで行きたい気持ちではあったけれども、岩手県内では、何がなんだか、どこが津波なんだか、人が生きてるのか、死んでるのかも、ラジオでは、壊滅壊滅しか言ってなかったので、そんな中で、産婦人科のドクターが、まだ状況は把握できてないけれども、海の方から被災して、ヘリコプターで分娩する方が、内陸に来たよと、この方達は、体育館にまた赤ちゃん連れて戻らなきゃならないから、せめて一か月はどうにかこちらでみんなで協力できないかっていうメールが流れてきて、それが3月12日の夜だったんですけれども、もうそこから私は何か自分ができることはないんだろうかっていうふうにシフトして、とにかく情報を収集して内陸にいる私たちが何ができるかなっていうことで動き始めました。
当時5ヶ月の赤ちゃんをおんぶして、3歳の息子を連れて様々な団体だったり、会議に顔を出させてもらって、沿岸から逃げてきた人たちが内陸にもいるし、その中には妊婦さんもいるから、その人達をなんとか支援する活動を立ち上げることになりまして、被災地妊産婦受け入れ事業というような事業を立ち上げることにしました。福祉避難所、体育館にいっぱい健康な人だけではなく、障害がある方だったりとか、外国人の方だったりとか、乳幼児をもつお母さんも対象として、災害弱者と呼ばれるような、お母さんたちをケアしたいので、お母さんたちとその家族を避難所みたいな温泉施設に入れて、私たちがボランティアで活動を続けることにしまして、4月から8月まで7組の妊産婦さんと、そのご家族30名をお世話する事業にたずさわって、自分が中心で動きました。
Jackie:
ご自分の家族もある中で、避難施設に避難しているみなさんのケアをどのように両立させましたか?
Miyoko:
仕事も4月から復帰しなきゃならなかったので、勤務表みたいな形でボランティア仲間で必ず1時から4時には必ず助産師は、一人顔を出すと、ボランティアのおばちゃんスタッフみたいな形で身の回りのお世話だったりを手伝うっていう二人が、必ず行くようなタイムスケジュールの勤務表を作りまして、私はほとんど二日に一回とか毎日1時間でもいいから顔を出すっていうことをしていました。車で20分ぐらいの温泉でしたし、今思えば無我夢中で、自分のことはあまり記憶がないと言うか、半年ぐらい授乳してた時の記憶はあんまりないですね。世界中から全国からメールが届く、何かを届けたいとか、こんなものが来たけど渡したいとか、それを夜中の1時2時まで授乳もしながらメールをチェックして、日中は駆けずり回って、どこかから物資が来るとなると、自分の家に運んでもらってそれを仕分けして持って行ったりとかっていうことが、夢中だったのであまりよく覚えてはいないんですけども、何かやってたんでしょうね。
Jackie:
緊急時だとなんとか体が動く、それが長く続くという難しさもありますが、その時に自分の世話をする時間、心のケアの時間も、子供を連れながら、産後ケアを避難所でやってたんですけれども、自分も大きな地震も経験したばっかりじゃないですか、自分の家の中の色々倒れたり壊れたり、旦那さんといろいろ連携して、役割分担で誰が何をやるのか動くっていう、早いペースで仕事復帰しながら、子育てするのは、それをできたことは本当に頭がさがります。自分がパンクしないように気をつけたのか、全体に落ち着いて一呼吸おけるようになったんですか?
Miyoko:
8月のお盆に避難所に入っていた人が全員仮設住宅だったりアパートを見つけて全員が退所したんです。その時、ホトホト疲れ果てていたので、バーンアウトみたいな形で、もう無理かなーっても思っていたんですけど、9月に東京の助産師さんたちが、宮城と福島と岩手の活動している助産師達を東京に呼んでもらって、その時にすごくいいホテルに一泊泊めてもらったんですよね。岩手県では震災から半年で、どこを見ても、がんばろう岩手みいな、がんばろう東北、負けるな岩手みたいなのぼりが立っていて、頑張っても頑張っても全然瓦礫ばっかりだし、全然だなあと思いながら、その東京に行った時、こっちはなんか世の中がまたこうやって普通に回っているんだなっていうのと共に、初めて自分が被災地を離れること、岩手県を離れたことでレスパイトされたんじゃないかなと
Jackie:
メンタルのリフレッシュでもありますし、東京が普通に戻っているという様子もみて、いつか岩手も普通に戻れるという希望は見えてきたんですか?
Miyoko:
岩手を離れるって言うこと自体、考えなくてもいいんだとか、楽しんでもいいんだなという感じ、東京に行って、そういえばこういうきらびやかな世界が好きだったなぁとか、その時に私が残したものとして、被災したお母さん達とお話しして、まだまだ彼女たちの心のしんどい所って、なかなかまだ出てきていないから、彼女たちと知り合った私たちだからこそ出来る事をしていかなきゃならない、東京に呼んでくれたみたいに助けてくれる人もたくさんいるんだなって、全部自分達でやらなくてもいいから、助けてもらえる人に助けてもらいながら自分たちにできることをしていきたいなと思って、その時、まんまるママ岩手を立ち上げようと検討して、やれることをやる、これからは無理はしないっていうことで立ち上げました。
Jackie:
ずっと自分も犠牲になると将来的には持続可能にならないし、がんばる、がんばる東北というメッセージはよいことでもありますが、外圧にもなるんじゃないですか?120%の毎日のマラソンは無理。一歩離れて自分が余裕を持ってできる範囲にっていうことに気がついたのがすばらしいですね。
まだ、みなさんに感情的な大変さのところを語ってもらってないという心のケアに関しては、NPO法人を設立して、何が変わったんですか?
Miyoko:
私たちは、お母さん達がつらかったとか、しんどかったって言える日が来るまで、ただ寄り添う、それは人によって1年かもしれないし、3年かもしれないし、10年かもしれないし、奥底に溜まった膿が出てきた時に、その傷を開けるのですごく辛いですよね、もしすごくたくさん膿が出てきても、傷が塞がるまで、とにかく寄り添っていうこと、ただそばにいて私たちはそこにいるよ、何かあったらおいでねって、あなたのタイミングでおいでよっていうことの活動をするために、子育てサロンって言って助産師があの被災地に行って、お茶とお菓子をお出しして、とにかくおしゃべりする、あなたのタイミングでお話をしていいんだよって、辛いことはしゃべらなくてもいいし、もう喋りたくなったらしゃべってもいいよっていう形の活動をすることにしました。その中で10年経った中で、3年目に語ってくれた人もいるし、4年目に語ってくれた人もいるし、7年のタイミングでしゃべってくれた人もいるしていう、それぞれの心の復興と言うか、心のスピードによって出てきているなと感じています。
Jackie:
寄り添う側も自分たちの経験した辛いことを話す余裕とか相手とか、あまりいなかったと思いますが、チームとしてお互いのケアについての課題は共有できたんですか?それとも寄り添ってる妊婦さん達と寄り添いながら、自分たちも少し心の傷が良くなった?
Miyoko:
震災から1年目ぐらいの時に阪神淡路大震災を経験した臨床心理士さんが、助産師たちのチームに1回はまってくれたことがあって、その方とお話する時に、やはり人間だから支援者だからと、ずっと頑張り続けなくてもいいよと、自分達も揺れ動いていいんだよって言う事言ってくれて、私はそこから自分も落ちてもいいし、でもちゃんと落ちても戻ってこれる、気持ちの揺らぎには無理してあらがわないで、付き合うっていうことを自分達も知っている。特にその専門的なケア者をスタッフに入れているわけではないんですけれども、私たちもお互いにケアしながらやってきたんじゃないかなと思います 。
Jackie:
まんまるママ岩手の名前について教えてもらえますか?
Miyoko:
震災がある前から立ち上げの助産師達が、まん丸お月様っていうサロンを月に1回ボランティアでやっていたんですね。[56:45]まん丸っていうのは循環する、お月様はの月の満ち欠けで分娩にも作用したりとか、妊婦さんのおっきいお腹はまん丸と表現されるし、私たちが今思っているのは、あの震災があるまでは助産師はお母さん達にケアをする、ご支援者の目線だったんですけども、そうじゃなくお母さん達から私達に戻ってくるものもたくさんあって、ママからママにだし、ママから助産師にだし、助産師からママにだし、循環するので、まん丸っていう名前を採用しました。
Jackie:
すばらしいですね。このライブストリームのテーマでもあるお互い様、お互いに教える、お互いに習う、お互いに生涯学習ができる、専門性や経験の共有ができるという多様性の特徴が貢献できると信じています。
助産師のケアとか産後ケアが本当に家族にとって重要なサービスとして、地方の行政との連携で新しく生まれた活動ついて教えて下さい。
Miyoko:
行政との連携の前に、一つ私たちが大きく舵を取ったのは、2014年あの震災から3年の時に、それまではいろんなところから助成金がいっぱい出ていたんですけども、3年経った時にそのままで私たちいいのかなーって悩んで、このまま四人のメンバーでずっとやっていくのは、バーンアウトじゃないかなーって思って、その時に出会ったのが、コミュニティオーガナイジングっていう手法。その問題に対面している当事者を仲間にするという考え方が一つで、私はそこから組織作りを始めたんですね。立ち上げの四人ですべてやらない、仲間を新しく入れていくっていうことをやりはじめました。そうやって組織ができていく中で活動がちょっと広がってきたんです。助成金を自分たちでとったり仲間が増えたので、私が今まで行くとこでしかできなかったのが、仲間がいるとこでも同じことができるとなると、私が今まで行かないと出来なかったけれども、私が会える人は10人だとするとそれが2人になったら、20人のお母さん達に会える、そうやって組織を大きくしながら事業をしていて、その時、[1:00:51]行政の方でも産前産後ケアっていう妊娠出産育児を包括的にケアする事業を、これからの日本で進めて行かなきゃならないという、国の政策になってきた時に、私達はそういう名前ではやっていなかったけれども、私たちが震災の後ずっとやってきたことは国の推進する妊娠出産育児の包括的なケアなんだなということに、自分たちも気づいたわけです 。
私たちが助成金を取ってボランティアで通い続けるのは先が見えないので、これは行政としてのサービスで提供することによって継続して、復興支援になるんじゃないかと、お母さんたちを対象にしているんですけれども、十月十日おなかの中で育てているお母さんが、自分自身がずっと無理をしていくと、いずれ虐待したりとか、そういう風に磨り減ってきてしまうよねって、だからお母さんを大事にすることは、赤ちゃんとお母さんが元気になると、お父さんは元気になって、お父さんも元気になって、家族が元気になるそういうお家が増えてくると地域全体が元気になって、それが真の復興なんではないかなと思って。そして2017年ぐらいから意識的に行政への声かけ、議員さん達への働きかけで、私達のやってる活動もエビデンスがあるんだよ。議員さんたちにも、選挙の時には安心安全な育児ができる世の中を目指してと言っているけれども、具体的にそれは何なんですか、あなたの言っている育児が安心して行えるって何ですかって。私たちはこういう技術を持っていて、こういう経験を持っていて、それをこの市町村で行う事で、確実にお母さん達が助かっている人もいるんだから、一人でも子ども虐待でなくしてしまうとか、そういうことは全国のニュースにもなるじゃないって、そういう人を一人でも二人でもいいから作って SOS が出せる世の中にするためには、私たちの活動は行政と一緒にやるべきではないですかというような活動をして、今県内で4つの市町村から事業を委託されて、私たちは今ややれるようになってきましたね 。
Jackie:
すばらしい発展ですね。ますます大きくなってきて。協力者の数は、何名になっているんですか?
Miyoko:
いろんな人たちにご協力いただいて、私たちのところに来てくれたお母さん達だったり、そのご家族だったり、議員さんだったりとか、地域の子育て支援をしている人だったりとかっていう協力者も、どんどん増えてきています。
私はどうしてあのアカデミーに行ったかと言うと、岩手を離れることが自分のレスパイトになるということに気付いていたので、岩手を離れる理由として出ていっていうのも一つ。でもその中で活動は違うんだけれども、若い女性としてのリーダーシップをとることに困難を感じている他の地域の女性達と話すことで、自分がエンパワーメントされていくっていうことと、あとは私は結構遅かったんですけど、海外の人たちとの交流を持つことに何の意味があるのかなと思っていたんですが、私が被災地で見たお母さんたちの姿というのは、全世界で共通する虐げられる女性の姿とリンクするって、それは東京だともうそんなことは行われていない 。
[1:05:47]赤ちゃんの数を自分たち夫婦で決めれない、おじいちゃんおばあちゃんがあと何人産みなさいとか、男の子を見なさいとか、女の子見なさいとか、そういうことがまだ日常茶飯時であるよというのは、この辺だと笑い話だけど、東京の人にしたら、もう信じられないそんなのは、今の世の中にまだあるの。それを知っている私が、誰かが声をあげないと、いつまでもそれは変わらないんだよっていうことを、海外の女性とのいろんなセッション通して気づいていて、私が知っていることを、私が見てきたことで、女性達はエンパワーメントされるとすごくしなやかに力を発揮して活躍できるって言うことも見てきて、それを私自身の目で見てきたことを発信しなくてはいけないんだなというところ、グラスルーツアカデミー?で学び、私もいろいろな機会をもらって実践していく、その姿をまた自分の周りのお母さんたち伝えたりとかいうことが、私自身がロールモデルというようなよい循環を生むんじゃないかなと思う。Jackie:
東北の草の根の経験、教訓を世界、東京まで共有する。世界中の災害リスク減少に関わってる仲間たちと共有するというのは、ミヨコさんにしかできない。私の研究を通して、とても感動しました。それがますます拡大していくためには、女性の声がますます拡大していく必要がありますね。
ご自分のやっている活動とか、街づくりとか復興とか、包括的な育児の活動について、地元の政治家のところに話に行ったりするのは、勇気がいるじゃないですか?
Miyoko:
勇気は必要なんですけども、最初の自己紹介で言った通り、おじいちゃんが議員だったっていうことで、小さい頃から議員も人だということを知っていたんですよ。議員さんとして出会ったんではなく、身内として知り合っていたし、家の祖父の仕事場に行くと議員さんがたくさんいて、様々なお考えを持ってる人も、もちろんいるけれども、ちゃんと聞く耳を持ってくださる方がいるって言うのは一つ大きいポイント。私が東京の助産院で1年間勉強した時に、その院長先生が、国会議員会館でロビー活動される助産師の先生だったので、私も国会議員会館にいて、たとえば男性助産師を反対する活動だったりとか、豊かなお産を広げることが少子化対策になるではないかということを、たくさんの衆議員、参議員さんにお話しする姿を身近で見ながら、私もスピーカーとして岩手県では産婦人科が少なくなってきて由々しき問題であると、女性たちが安心して産めない状況で、少子化って言ってはいけないんじゃないかというような、そういう成功体験スモールステップを重ねていったことによって、議員さんたちにアタックするっていうのは特別なことではなく、[1:17:10]議員さんたちも市民の声を知りたがっているし、議員さんたちが資料の上では学べないお母さんたちの生の声を届けるってことが、今の社会を作っているのは、政治っていうのも大きなファクターだけれども、それは私たちの代表が政治家になっているのだから、決して遠い人ではない、私たちの一票が世の中を変えるって言う実感は、多分小さい頃からどこかであったんじゃないかな。勇気はいるかもしれないし、戦略的じゃないこともあったかもしれないけど、そこは自分のミッションとしてやらなきゃと。
Jackie:
政治家が遠く感じる、話をしにいってもいいのか、聞いてくれるのかと感じてあきらめるとか、話に行っても聞いてくれなかったとかありますし。私の研究では、女性の議員が増えれば、女性が女性議員に話に行くことも増える、女性議員は、身近な問題として共感できるだろうとか、女性市民が声をあげる可能性が広がっていくので、町議会でも県議会でも国レベルでも、議会制民主主義身の役割が非常に難しくて重要だと思います。
女性の専門性や知識、経験を議員、行政に届けて、日本にとっていい方向性にいくようにするというのは、本当にすばらしいです。
高校生の頃に感じたことを振り返って、今どう感じていますか?
Miyoko:
全然、高校生の時は、今のようになっているとも思わなかったですし、10年前もこういう風になってるなんて思いもしなかったし、人生驚きの連続なんです。ただ何になるとか、何の仕事選ぶ、公務員を辞めるとか、開業するとか団体を立ち上げるって言うような、そういう岐路にたった時に、やらないで後悔するより、やって後悔するって、その意思決定は私の中にある、私のパートナーは本当にいつも驚いているんですけれども、結婚しても夫を残して東京に行くっていう選択をするとか、病院を辞めてしまうとかっていうのは、彼の中にはもうとてもあり得ない選択なんだけれども 、私の人生は私のものなので、私が選んでいく私が後悔しないように選んでいくっていうところで、いろんな岐路があって今ここにいるのかなって、どこの分岐点でも、自分で納得して選んできたことだったので、思いもしない人生ですけど、非常に面白いと思います。
Jackie:
自分で選択したことで、情熱をもって続けていくことができれば、みんなにとって理想ではないかと思います。最後に、視聴しているみなさんに共有したい教訓はありますか?
Miyoko:
[1:15:20]私は、もっとやりたいことがあって、女性達のエンパワーメントどうにかできないかなと思っています。私の専門性でいうと、女性の妊娠出産っていう人生の分岐点にいる女性達にあうんだけれども、それが納得のいく結果でなかったりする女性たちもたくさんいるので、もっと若いうちから女性たちに自分の人生を自分で選んでいいんだよ、結婚したらお家のものになるんではなく、あなたの人生はあなたのもので、あなたは夫とか家族の奴隷になるものではなく、自分の人生として仕事だったり、家庭だったり、何でも選択してあなたの選択としてやっていっていいんだよっていう思考を、若い女性達に働きかけることをしていきたいなと思うので、もっともっと岩手県は若い女性を大事にしていく土地にして行かないといけないなと思うので、私が貢献できることを続けていきたいなと思っています 。Jackie:
本当に貴重な教訓です。賛同します。ありがとうございました。
今日は、興味深い課題、ミヨコさんが経験してこられた専門性や多様性を組み合わせて、まんまるママ岩手のおかげでいろいろと変わってきていると感じますし、感謝しています。貴重なお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
このライブストリームは、エンジョイに賛同するみなさんからのご協力を得て、放送されております。ご協力に心より感謝いたします。このプロジェクトに賛同者は、エンドロールに流れますので、ご確認ください。ご視聴ありがとうごいました。来週もゲストとして、イシモトメグミさんをお招きします